初詣(初出:WASEKET 05)

こんにちは。いけだです。

WASEKET 05(2014.11.01)で頒布した短編『初詣』を掲載いたします。

『Black Feather Re:01』直後の時点の、シオンとアイリンのちょっとした小話です。

無断に転載したりしないでください。

Pixiv小説で掲載したやつはこちら


 はあ。はあ。

 足を速め、荒い呼吸をしながら神社に向かって走っていく。

 はあ。はあ。

 腕時計を確認する。六時二十五分。アイリンとの約束の時間から一時間近くも経ってしまった。

 このままのペースだと、神社まであと三分は着く。だが周りはとても人が賑わっていて、六時半までに着けば幸いだ。

 もう一回時計を見る。さっきとはちっとも変わっていない。

 今日は一日中晴れ渡ったとはいえ、まだ融けかけの雪があちこちに見える。さらに昨日は雨が降って、地面に濡れていないところはほとんどない。

 参拝帰りの人を交わしながら、滑らないように気をつけて走っている。顔に汗が滲んでいるのを感じた。

 ようやく神社の正門が見えるところまで来たが、人がこんなに大勢いては、さすがにここからアイリンの姿が見当たらない。

 ただそこにいて、目に捉えなかったのか。それとも寒さを感じて、向こうのファストフード店に入ったのか。まさか、どうしても待ち人が来ないから帰ってしまったのか。変な不安が湧き出した。

 今日はやらかした。

 家を出る前に、もう一回アルバイトの時間を確認しておけばよかった。上がる時間が記憶より一時間遅くなってしまい、さらに電車は事故が起こったらしく、15分ほど駅で風に吹かれながら待つ羽目になった。これらと比べたら、この神社前の賑やかさにはむしろほっとした。

 はあ。はあ。パタパタパタ。

 アイリンには、どんな顔をすればいいのか。でもそれを考える時間もなく、ただひたすら神社に向かっていく。

 正門の近くまで来たら、すぐアイリンがそこに立っているのを見た。こちらから声をかけるのを待たずに、私を見るや手を振りながら迎えに来た。

 「シオン!こっちよ!」

  今日は出版社の打ち合わせがあって、終わったらここで会うと、アイリンと約束をしたが、私のせいでこんなに長く待たせてしまった。今晩は冷えるのに、アイリンはいつものコートとスカート姿で、いかにも寒そうな格好だった。

 頭を下げて、素直に謝った。

 「ご、ごめん!ごめん…待たせて」

 「ううん、いいの。それよりなんかあったの?電話にも出なかったし」

 「ああ、それは…バイトの時間を間違えたんだ。本当ごめん!」

 電話のことはすっかり忘れた。勤務中でさえ時計ばかり気にして、上がったらすぐ駅に駆けつけたから、その存在さえ頭の中から消え去ったようだ。

鞄から携帯を取り出し、画面を開くと、アイリンからの着信が何通もあった。しかも電車に乗っていた時にも着信が来たらしい。

 「大丈夫よ、シオンが無事で安心した。ちょっと心配したわよ?まあ、とりあえず先になんか食べてく?シオンもお腹がすいたんでしょ」

 「あ、うん。行こう」

 あんなに長く待たせたのに、アイリンは全く機嫌を損ねなかった。寒い天気の中でもいつもの明るい調子で笑って話しかけてくる。

 「実はね、わたしもちょっと遅くなっちゃったの。担当さんと話が長引いちゃってね」

 「そうか」

 二人でお話ししながら鳥居をくぐって、神社の境内に入っていく。外と比べて人が全く減っておらず、参道の両側にある屋台も加えて、まるでお祭りのような光景だ。

 手を清め、ゆっくりと階段を上る。そしたらすぐ本殿が見えた。参拝待ちの列が予想より長く、今から並んでいくと私たちの番になるまで十五分くらいはかかりそうだ。

 「だからそんなに待ってなかったんだよ。あー、いっぱいあるね!シオンはなに食べる?」

 私がまだ答えを出していないが、アイリンは小走りながら屋台のほうに向かった。お祭りといえばこれぞという屋台がたくさんあって、あと花火大会もあれば完璧な夏の風物詩になっている。

 さすがにこんな寒い夏はないだろう。吐き出した空気が目の前に白い霧となり、そして空に向かって消えていく。腕を抱えて身を縮め、霧の誕生と消滅の循環を見ているうちにアイリンが何かを買ってきたようだ。

 「悪い。私が出すはずなのに」

 「いいのよ。はい、たこ焼き。マヨネーズはかけてないよ」

 「おう、ありがとう」

 そう言っているアイリンはやきそばだ。それぞれの分を持って、待機列に並ぶことにした。

 「そういえば、アイリンって家族と一緒に初詣に行ったりしたのか?」

 「行ったよ。うちはなんとなくこういう行事が好きだからね。シオンは?」

 「父がドイツ人だからこういう習慣はないな。中学校に上がって、家を出た前は行ったことなかったよ」

 「へえ、そうなんだ」

 「でも下宿に住んでた時は毎年来てた。言われてみればあれが最初だったかな」

 「なんか意外。でもなんか、今こういう風にシオンといろんなところに行くの、幸せだね。ほんとカップルみたい」

 「カップルって…もともと契約者(パートナー)だろ。アイリンの中で私はなんだ」

 「そういえばそうだね」

 くすっとアイリンが笑い出した。こんなアイリンを見て、私もなぜか顔を緩めてきた。

 アイリンと一緒に暮らして六年。いかに大変な時でもこの笑顔に支えられていた。

 全てを受け止める。そして全てを浄化し、清める。それがアイリンだ。

 こんなアイリンこそ、人の心を揺らす文字を書き、その文字に触れた人間の心に直接感動を与えることができる。

 だが契約者(パートナー)の私でも、自分の相方のことを全て知り尽くしたわけではない。逆に昔からはよくアイリンに自分のことをひたすら聞かされ、話していた。あれは時々寂しく、時々悲しく、時々幸せな話だった。

 全てを受け入れたアイリンの心はどんな形をするのか、そしてどんな思いで一文字一文字を書いたのか。私には知りようがなかった。

 あれに触れてはいけない気がした。あれはいかにも繊細で、脆くて、指ひとつ触っただけで、アイリンだけでなく、私の世界でさえもが崩壊してしまう。

 それゆえ、私にできることは、たこ焼きを頬張りながら、彼女の話に耳を傾けるだけだ。そうすることで、少しだけ自分が許された気がした。

 二回お辞儀をして、二回拍手を打つ。

 今年は留年せず、無事二年に上がりますように。

 若干願い事が叶え難い気もするが、それはそれでよしとした。私たちの地元愛に応えて、たまには神様にもお仕事してもらわないと、と思った。

 「どんな願い事をしたか、聞かないの?」

 「聞いてどうする。私が叶えろとでもいうのか」

 「ヤダしおんイジワル―」

 「じゃ、どんな願い事をしましたか?」

 「世界平和。あとシオンが長生きしますように」

 アイリンには敵わない。ここは降参しよう。

 近くのゴミ箱にさっき鞄につっこんだゴミを捨てる。アイリンも隣に来たが、なぜかお弁当箱の他に小さいペットボトルが二つあった。

 「そうだ、ちょっとスーパー寄っていい?パンとたまごが切れてたなあ。あとアイス食べたい」

 「よくこんな寒い日にアイス食べるな」

 「コタツに入って食べる」

 「うちにコタツがないぞ」

 長蛇の列と人ごみを背に、二人より添って帰途に就いた。

 さっきまでの不安がまるで霧のように消え去っていった。

 時計を見たら、七時過ぎになった。散々痛い目にあって、遅れてきた割に、本番は短かった。

 街灯はとっくに灯りつき、境内の明かりと車のランプとともに夜の街を照らしている。

 この街はいつも眠りが遅い。こんな街の中でも、私とアイリンだけの安らぎの場所がある。

 「今年もよろしくな、アイリン」

 自分では気づかなかったが、いつのまにか私の顔にも微かな笑みが浮かび上がった。

 ―2005年1月5日―

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