詐欺師は語るに落ちる【FGO1.0】
こんにちは、いけだです。
FGO 1.0部の二次創作小説『詐欺師は語るに落ちる』を掲載いたします。
ダビデ&立香♀の小話です。話にねつ造・個人解釈・FGO1.0部のネタバレがあります。
ついにダビデをLv100/10/10/10にした今日のこの頃。
Pixiv小説で掲載してたやつはこちら
1
ウイーン。その音と伴って、中央管制室の自動ドアがゆるりと開いた。そろそろ夕食の時間だ。司令室の中ではわずか数人のスタッフが機器の点検をしており、残りの人は食堂に行っている。部屋に入ると、その音を聞いて振り向いたスタッフ達に軽く会釈をし、カルデアスの前に足を止めた。
一年前から見慣れた光景なのに、何故かさっき部屋に足を踏み入れた瞬間に、一縷の寂しさが心頭につのった。エアコンが効きすぎているか、この部屋だけ少し肌寒く感じる。
普段なら、この時間に「彼」がそこにいないのは当然だ。たとえグランドオーダーの実行中でも、夕食の時間になったら、こちらが気づかないうちにどこかに姿を消し、一時間後にまたふらっと司令室に現れる。大方またこのカルデアのどこかでお気に入りのサボり場、もとい、憩いの地でも見つけ、そこで束の間の安寧に浸り、お菓子を頬張りながらくつろいでいたのだろう。
ならば「彼」が今ここにいないのもそうなのだろうか。今こそここにいないが、ここであと一時間、二時間、もしくは一日、一週間待てば、再びあの不甲斐ない、でもなんとなく心を落ち着かせる声が聞こえるのだろうか。
「彼」が全てを手放し、その代わりに手に入れたのは「あちら側」への片道切符。ならば「あちら側」への旅路もあのカルデアスに記録され、シバのレンズに映るのだろうか。シバを覗いてみれば、「彼」が未だに存在している証拠を少しでも掴めないのだろうか。藤丸立香が司令室の中心に立ちすくみ、空洞な視線で目の前にある紺碧の球体を注視した。
自分は感情豊かな人の部類に入らないと、立香はなんとなく思う。雪山の奥深くにあるカルデアに無理やり連れて来られた時は流石にビビった。でもその後の一連の出来事を経験しているうちにいつの間にか耐性がついた。とりあえず全てを受け入れる。その途中で色々な歴史を持つ英雄達と出会い、彼らと交流を深めながら人理の為に自分の出来ることをする。それがこの一年間。特定の誰かに情を移ることも忌み嫌うことも慎み、サーヴァントとスタッフ全員に出来るだけ良好な関係を築いてきた。
そうでもしないとまず心がもたない。
普段の付き合いに差こそあれ、この建物の中にいる人間…人物達は自分にとって全員同じ大切なはず。なのに「彼」の不在がもたらした傷は、まるで心の中核まで沁みこんだように、なかなか癒えない。
二、三歩後ろに下がり、中央のコンピューターが置いてある机にもたれかかる。ここは「彼」の定位置だ。「彼」はいつもここからレイシフト中の自分の存在を証明し、任務のサポートに徹してきた。
だが今この頃、立香に「彼」の存在が証明できない。
机の表面に触れてみる。キーボードに触れてみる。まるでそうでもすれば、先ほどまでそこにいた「彼」の残したわずかな温もりを感じられるかのように。
寂しくなったものだ。
その目線はそう嘆いている。
ここに入ってきてどれくらい時間が経ったのだろう。先ほどスタッフ達が挨拶したようだがはっきり覚えていない。恐らくもう交代の時間だろう。
冷たい部屋に、かつて世界を救った背中が一つ取り残されている。
2
ウイーン。その音と共に、誰かが管制室に入ってきた。
「やあ、マスター。ここにいたのか」
振り向かずともその声の主はわかっている。緑の長髪の男が杖を提げて悠々と司令室に入ってきた。
「ダビデさん」
「マシュちゃんが探し回ってたんだよ。夕飯の時間になってもマスターの姿が見当たらないから、大分心配してたよ」
「ああ…すぐ行きます。マシュに申し訳ないことをしましたね」
「こんなところで一人で何をしてるんだい?」
男が立香の隣まで歩み寄り、彼女の真似をしてカルデアスを見上げた。立香は男に軽く会釈をして、また目線をあの巨大な青い球体に戻した。その視線はまるで、球体の向こう側にとある不確定な可能性を見出そうとするかのようにぼんやりしている。
「これに見惚れてるのかい?いやあ、こうして間近で見るとやっぱり凄いね。『カルデアス』って言うのか?本当、僕の理解を越えた代物だ。これが僕たちの生きてる世界か…そもそも『生きて』はいないかな?ハハッ。ここに来てから色々あったね…あの大きな世界でも、この小さな建物(せかい)の中でも」
男が能天気に語り出した。彼がカルデアに来たのは人理修復(グランドオーダー)を開始してしばらく経った後のことだ。暢気(のんき)な性格で人当たりもよく、戦闘では攻撃から支援までそつなくこなし、頭抜けて活躍してきた。そのため、立香からも絶大な信頼を置かれている。たまには常軌を逸した発言に頭を抱えるが、それでも立香を導いてくれる、とても頼りになる存在だ。
そして運命の日に、立香は真実を突きつけられた。「彼」の正体。そして、この男と「彼」との、自分が想像したよりも遥かに深い関係性。
だがこの男の反応はあまりにも不可解だ。人理修復をやり遂げたあの日から、いや、男がカルデアに来る日から今日まで、その顔から泰然とした笑顔が消えたことがない。ふてぶてしいにも程があるくらいだ。
「ダビデさんは…」
「なんだい?」
少し振り向いて、彼の心境を探るように、そして出来るだけ不快に思わせないように聞く。
「ダビデさんはいつもそんなに笑っていて…なんとも思わないのですか?その、ドクターのこと」
いささか遠回りした聞き方だが、聡明な男はその真意に察したようだ。この部屋のこの位置。二人が立ち止まっているその場所。少し前まで、そこに立っている「彼」の力強い背中が見える場所。
男と「彼」との繋がりは、このカルデアの誰よりも強いはず。それに比肩できるのは、かのイギリスの騎士王と反逆の騎士、それくらいだ。
「彼」はもうこの世にいない。世を去っただけでなく、その存在、その歴史ごと抹消されたのだ。それなのに、男の眩しい笑顔はいくら何でも不自然だった。
「彼」の面影を記憶の中で辿りつつ、立香が言葉を重ねていく。
「私にとって、あの人は、非力でありながら私達(カルデア)を支える存在で、とても良い仲間で、私の人生の先輩でもあるんですけど、ダビデさん(あなた)はそう簡単にはいかないでしょう」
男の顔が一瞬曇った。だがそれも一瞬だけのことだった。立香が目を逸らしたおかげで、彼女の目に捉えることはなかった。
「そうね…それは考えすぎだよ」
男はいつもの笑顔が浮かべた。
「僕にとっても、ここにいた『彼』はそうだったよ。ついこないだもマシュちゃんに似たようなことを聞かれたかな?彼の正体に僕は興味ないし、例えそれに気づいたとしてもあちこち言いふらす僕じゃない。それに何より、僕の息子(りそうのおう)たる人はそんな軽薄で情けない笑顔を見せてくれるような人じゃないからね」
「そう」
溜息を一つ漏らす。
「ダビデさんらしい返事ですね」
親子揃って自分を隠すのが上手い。というより、二人とも大事な話をする時ほど無意識に本音を隠す癖がある。どうしても立香にはそういう風に聞こえる。
この人は掴みどころがない。
人理修復に奔走していた時だってそうだ。戦いに挑む時は至って真剣なのに、戦場から戻ってくるや、カルデアの女性たちに順次に「アビシャグや」と声をかけて誘っていく。古今東西の名だたる英雄たちが勢揃いのカルデアでは、もちろん女色を好む輩が大勢いるが、この人は至って真面目にナンパをしているから、尚更タチが悪い。
目の前のこの人は裏で詐欺師呼ばわりされていた。眩しい笑顔と掴みどころのない話術で自分を巧みに隠し、その代わりに巧妙な言葉で相手を仕立て上げ、思考を混乱させてから自分の目的を果たす。中々食えない男だ。
「ついでに言うと、そんな胡散臭いネット上の存在にハマって、それに縋(すが)る弱腰なやつでもない。エルサレムを見事に繁栄させて、更に未曾有の魔術体系を大成させた偉大なる王(かみのおとしご)が、実はあんな隙あらばサボるチキン野郎だと聞いたら、誰だって腰を抜けちまう」
「随分な言いぐさですね」
立香は思う。この人は確かに言葉を操るのが上手だが、詐欺師としては失格だ。昔駅前で遭ったキャッチセールスの人の方が一枚上だったくらいだ。無関心だと本人が言い立てているが、語れば語るほど「彼」への思いが露わになっていく。
これがダビデなりの、「彼」への弔いなのだろうか。ならば、何故「興味がない」なんて言葉を使ったのだろうか。その思いが本物なら、何故そんな不敵な笑顔で隠してしまうのだろうか。
「そろそろ行こうか。僕もお腹が空いちまったなあ」
「そうですね。ご一緒します」
いつもは戦場にいる自分の焦りと不安を和らいでくれるその笑顔だが、今はなぜか非情と虚偽の色を帯び、次第に立香の疑惑を煽り立てていく。その疑惑のぶつけ先を、立香にはわからない。
3
ウイーン。耳にしたのは自動ドアの開ける音と、自室に入ってくる誰かの足音。振り返ってみると、やはりいつもの緑髪の男だった。
「やあ、マスター。まだ休んでないのかい?」
「ダビデさんこそ、こんな夜遅くに何の用です?あとその手のものは」
男は片手にトレードマークの杖、片手にはプレートの上に牛乳とクッキーというちっとも似つかわしくない持ち物だった。
「なに、決してやましいことじゃないよ」
「勝手に私の部屋に入ってきて、やましいことじゃない、ですか」
「まあ、今日は違うよ。自動ドアもロックがかかってないし、いいじゃないか」
「よくありませんよ。ノックぐらいしてほしいものです」
「自動ドアに?まあ、ほら、これ、さっき廊下でマシュちゃんがこれを持って歩いてるのと出くわしてね。ちょっとお話をしてたら急にレオナルドに呼び出されたから、頼まれて」
「ダヴィンチちゃんが、ですか。何事でしょう。ともかく、ありがとうございます。お一つ如何です?あと勝手にうちの後輩をからかうのやめて下さい」
「そんな、からかってなんか。ところで、マスターは何に勤しんでいるんだい?これは立派な書類の山だね。カルデアではそんなに書類の処理(ペーパーワーク)が多いんだっけ」
牛乳とクッキーを乗せている皿を机に置き、男の視線はすっかりそこにある紙の束に吸い付かれた。
「いえ、ただ整理がてら、ここ一年の記録(レコード)を振り返っているんです。皆さんの霊基再臨の記録と、特異点で起きたこと。残りはただの雑務ですよ。戦闘訓練の計画、種火(しげん)の仕分け、それから去年のお騒ぎ関連の、魔術協会と国連から送ってきた書類…あとこれ、見ます?エミヤさんからもらった来週の食堂のメニュー。フライングですよ」
「我々サーヴァントの記録はよしとして、国連からの書類の処理を雑務と呼ぶ人は、この世界の果てまで行っても恐らくマスターしかいないだろうね」
「そうでしょうか。こんな書類を好む人間はどこにもいないと、私は思いますよ」
「マスターがそう言うのならそういうことにするとしよう。にしても、ものすごい量ですね。これらを全てマスター一人が?」
「何せたった一人のマスターですからね。スタッフ達からも色々助言をもらっていますが、彼らでは到底カバーできないこともありますしね…特にサーヴァントのことに関しては」
「いやあ、立派だね、マスターは本当。一つ一つよくまとめるのは効率いいし、僕も気に入ってるね」
「それは何よりです。ほら、私は戦闘ではほぼ皆さんに守られてばっかりですし、これくらいしないと。これは私だけじゃなく、他の47人の分もありますから」
立香がそう言いながら、一年前の出来事を思い返していた。あの悲惨な事件は天災というべきか、人災というべきかはさておき、自分の人間としての成長を大きく促した、ある意味記念すべきことだった。
もう一つクッキーを口に運ぶ。シナモンの風味が効いていて、夜食にはもってこいだ。ついついつまんでしまう。
「ねえ、マスター」
「なんです?」
「もしかして普段から寂しかったりする?」
「それをセクハラとして捉えますよ」
「嫌だね、まだ何も言ってないのに」
「それでも言わんとすることは知ってますよ」
立香は目線を手元の書類に戻した。
「ねえ、マスター…真面目な話、本当に孤独なんか、感じてないのかい?」
男の声はいつもよりトーンが幾分低くなっている。彼からこんなに真剣に声掛けられることは、過去に一度あるかないかだ。だがそれがかえって一層怪しく思わせた。立香がもう一枚クッキーを口に運び、パクパクと噛んだ。そして無造作に牛乳を一口飲み、クッキーと一緒に呑み下した。
「何ですか?今日は。寂しいとか、孤独だとか。ダビデさんがこうして話しかけてくれれば寂しくありませんよ。マシュも、ダヴィンチちゃんも、英霊の皆さんもスタッフ達もいますし、むしろここに来る前より、周りの人間関係が賑やかです」
「でもこんな大勢の中で、マスターの身分、立場、出自、人間としての感情…マスターとこれらを共有する人はここに誰一人いない。他の人から得る助言は、彼らの立ち位置から生まれるものに過ぎない。自分の本心を理解してもらえない。そして自分は他の誰一人のことを理解できない。マスターはそれでもいいのかい?」
「…理解、ですか」
男に目を背け、立香はそっと目線を落とした。
立香は思った。確かにカルデアにいる歴史に名を連ねる面々はほとんど全員異なるし、彼らの行動は自分の中の常識よりだいぶ逸脱している。その場合は理解できないというより、無理に理解しようとしたり、その価値観に同調しようとしたりしない方が正解かもしれない。立香にとって、それも苦ではなかった。
しかし、目の前のこの男はどこか違っていた。
確かに彼はとても常識人とは呼べない。だがその破天荒な発言は、いつも自分の本心を隠すためにあるように聞こえる。
「私は確かに、ダビデさんのことが理解できませんね」
「僕もマスターの考えてることがよくわからないな」
「私は違いますよ。辛い時は辛いって言うし、嬉しい時は嬉しいって言います。マシュに甘えたりさえしますよ」
「甘えるなら僕のところはいつでも歓迎だよ」
「それは後ろ向きに検討しておきます。それより、ダビデさん…」
「なんだい?」
「ちょうどいい機会ではありませんか。私は、ダビデさんのことがもっと知りたいです」
「お、それは歓迎するよ。何が聞きたいんだい?僕の懐なら、いつもアビシャグが甘えに来る日を待ち望んでいるよ」
「ダビデさん!あなたの息子が歴史から消えたんですよ!なんでそんなにヘラヘラ笑っていられるんですか!」
立香がさっと椅子から立ち上がり、緑髪の男に全身の怒りをぶつけた。
部屋中が一瞬で静まり返った。立香の怒鳴り声だけがこだましていた。
「ダビデさんはいつもそう。他人のことを知りたがったり、その心の隙に付け入ったりするのに、自分のことは誰にも探らせない。いつも笑い飛ばしたり茶を濁したりして、肝心なことを誤魔化すだけ。詐欺師ですね、まるで。そうですね。その通りです。ダビデさんは私のことを何一つわかってません。私も、ダビデさんのことが全くわからないです」
ここ数週間、心の底にたまりにたまった泥のような感情が一気に噴き出し、刺々しい言葉となって緑髪の男に突き刺しかかった。パンと拳が机を叩いた音が部屋に響いた。もう自分の信条も他人の心境も関係ない、ただ本能的に、感情任せに口を動かした。
いきなりの出来事に男もさすがに動揺を隠せない。後ろに一歩さがり、手に持った杖で床を突いた。
気まずい沈黙が三秒続いた。汗が立香の手のひらを染みた。
「…ごめんなさい」
「いや…」
顔に汗がにじみ出て、頬がみるみる紅潮するのを感じた。目線が男から遠ざかり、部屋中に泳ぎ出した。思考を集中できず、何を言い繕えばいいのかわからない。
「マスター…?」
「あ、ああ、今日はもう、休みたいです…明日もまた特異点に出撃しなきゃいけないかもしれないし、ダビデさんも早く休みましょう」
立香は男に背中を向け、自分にしか聞こえないような小さな声で退室を促した。明日も、明後日も、そして国連の査問団が来るまで、決して特異点への出撃がないことを知っていながら、一秒でも早く、あの男の笑顔から逃げ出したかった。
人間と、人ならざる者を結びつけた細い糸が、ぽつりと切れた音がした。
4
ウイーン。聡明な男は何も言わずに部屋を去った。
彼が帰るまでその顔を直視する勇気がなかった。その言葉をぶつけられた彼の表情を窺えなかった。はっきりと「息子」と言われて、彼はどんな顔だったのか。切なさ。不意を突かれた焦り。動揺。それともなお平静に微笑んでいられるのか。
自分もどうかしていた。彼の気持ちを一番悪い聞き方で抉り出そうとした。その上彼からなんの返事も得られなかった。コミュニケーションにかかったコストに対して、なんのリターンも得られなかった。
元金すら全て負けてしまったような、最悪な一手だ。
手に書類を取り、気を紛らわそうと寝る前にもう一仕事をしたいが、先ほどの激昂でそれどころではなくなった。やけにポイと紙を投げ出し、マシュが用意してくれた牛乳に再び手を伸ばした。椅子にもたれかかり、牛乳を飲みながら張り詰めた脳の芯を緩めようとした。
ふと昔マシュから聞いた話を思い出した。
あれは半年ほど前、まだ人理修復の真っ最中の出来事だった。
ここカルデアでは、「カルデア親子の会・ヴェールデ会」という、いつの間に出来た団体があった。そもそも団体と呼べるかどうかすら怪しい。創設者もわからない。もちろんその名義で活動している人もいない。今のカルデアでは「親族持ちのスタッフ・サーヴァントのための福祉サービス」の一環、という認識らしい。
その日にはヴェールデ会主催の懇親会が開かれていた。数日前から廊下の掲示板にポスターが貼り出されていた。対象はサーヴァント。もちろん親族持ちのみ参加可。そして二名以上で出席すること。要は親子達を集めた食事会だった。
誠に不本意だがマシュもランスロット卿とともに参加した。ランスロット卿から誘われたそうだ。マシュ本人としては親子の団らんする大事な集まりに邪魔するつもりはなかったが、どうやらギャラハッド卿の霊基が騒いでいたらしい。
「それでね、少ししたらお父さ…ランスロット卿が来たんです。お父さ…ランスロット卿が終始嬉しそうとも、気まずそうとも言えない表情で、ずっと料理を食べてました。むしゃむしゃ食べるのが、汚かったです」
と赤面しながらマシュが楽しそうに話していた。
それから、エミヤが出席者でありながら料理を振る舞って、家族と共に楽しんでいたこと、たくさんの騎士王が出席して、モードレッド卿がすこぶる困っていたこと、なぜかドクターがメガサイズのオードブルを持ってきて、危うく部屋の中で転んで大惨事になりそうだといったことを、マシュが笑いを混じりながら教えてくれた。
「あと…そういえば、ダビデさんが来ました。一人で」
「ダビデが?魔術王は世界を燃やしてるんじゃない。探すなら違う場所がいいね」
「そう!それです!モードレッド卿も同じことを言ったんです!『お前の息子は世界を燃やしてるんだぜ、ただ飯を食うならよそへ行け』って」
「へえ」
かのモードレッド卿と同じことを考えているのは喜ぶべき話かどうかはわからない。マシュがお茶を一口啜って、話を続けた。
「でもダビデさん、ただ部屋中を一周くるっと見回って、そして『これは失礼、楽しそうだね』って言って行っちゃいました」
「ただ飯を食べずに?」
「単に私の気のせいかもしれないですけど…ダビデさん、誰かを捜していたかのような、そんな様子でした」
「もしかしたら、ただ部屋を間違えただけかもしれないよ」
「そうですね…そしたら、どこへ行こうとしたのでしょう、あの部屋と間違えて」
「さあ」
全ての真実を知った今となっては、マシュのさりげない一言の意味が大きく変った。立香は少し他愛のない思い出に浸りながら、男にぶつけた質問の、自分なりの答えを当てようとした。
5
ウイーン。食堂でマシュと一緒に遅めの朝食を取った。食べ終わったら、マシュは定例の身体検査があると言って、先に出て行った。
立香は残ったオムレツを一気に全部口に放り込んだ。そしてまだ全て飲み込んでいないにもかかわらず、グラスの中の牛乳をグッと仰いだ。
時間が時間だから、食堂の中は閑散していた。他のスタッフが二、三名いたが、彼らがお皿を平らげたあとすぐ食器を出して、食堂を出て自分のポジションに就いた。周りを見れば人間は誰一人いない。厨房でタマモキャットがニヤッとエミヤと笑い戯れながら皿を洗っていた音が遠くから伝わってきた。
周囲がシーンと静まり返った。だが体を起こす気にはならない。前に進む時間を潜在意識で拒んでいる。
緑髪の男と会えずに三日が経った。心が何かに鷲掴みにされたようで、名状しがたい胸騒ぎがする。腹の中が何かにかき混ぜられている思いがする。
そもそも特異点関連の任務がない。一部の物好きを除いて、殆どのサーヴァントは自室で親しい人達と一緒に、カルデアにいる最後であろう時間を過ごしていた。
あの男はどうだろう。普段ならしょっちゅう言い訳をつけて立香にちょっかいを出していたのに、あの夜以来すっかり姿が見当たらなくなった。カルデアの巨大な敷地内で身を隠すのはた易いことだ。ドクターもそんなことをしていた。更にサーヴァントとなれば、自分自身の気配を隠すことも、いざとなれば実体化を解除することもできる。隠そうと思えば、国連の査問団が来るまで、いや、たとえ査問団がこのカルデアに進駐した後でも、自分の存在を匿うことは不可能ではない。
やはり自分が変な言葉を投げつけたせいで、避けられているのだろうか。
ふん。立香が鼻で笑った。何をうぬぼれている。いかに「対等の存在」と呼ばれようと、彼は古代イスラエルの王だ。一介の羊飼いから民を統べる者に名を上げた存在だ。やがて後世に救世主とまで崇められた人だ。全ての能力、全ての素質が平均点の自分とはとても比べられない、言葉通りの「別次元の者」だ。
そんな格上の存在に「避けられる」なんて、何様だ、自分は。
彼がサーヴァントとしての自分のあり方、自分の記憶をどういう風に捉えているかはさておき、人生の経験も今まで見てきたものも全部自分を上回っている。そんな彼が自分を隠そうとするのなら、その扉をこじ開けるのは如何なものか。
ふと数日前の夜の、ダビデの言葉を思い返した。
「理解、ね…」
立香は決して他人に興味がないわけではない。他人と言葉を交わすことを避けてもいない。しかし今でも心のどこかで、英雄達との交流を怯えている。常識では理解できない戦場を共に生還した仲間達とはいえ、お互い心を裸にして語り合える相手はマシュ以外誰一人いない。やっと気を許せたあの男も、自分の不甲斐なさが故に自分から遠ざかろうとしていた。
そもそも「理解」とはなんだろうか。正直のところ、自分も「理解」について何一つわかりやしない。もちろん「知る」ことが前提だが、「知る」だけでは理解に至らない。そもそも立香にあの男のことはよく「知っていない」。そんな状態で更に一歩踏み込もうとした瞬間、真正面からぶつかってきたのは、自分の世界とあまりにも違う、彼の世界の色だった。
何も思考せず、彼の言葉を丸飲みするのはた易いことだ。だがそれは理解ではない。むしろその反対だ。しかしその言葉を簡単に消化することもできない。あまりの人情味のなさに、体が拒否反応を起こしてしまう。
もうどうすればいいのやら。
ふと一瞬、あの男の顔が恋しくなった。
6
「今日もすごい雪ですね」
カルデアの廊下で外を見渡せる大きな窓がある。立香が管制室を出て、自室に戻ろうとした時は既に夜になっていた。
外を凝視している緑髪の男が窓の前で佇んでいた。三日ぶりに彼の顔を見た。
話しかけられて、男が振り返った。するとすぐいつもの晴れやかな笑顔が浮かび上がった。
「やあ、マスター。久しいね」
「ここ数日何してたんですか?全く見ていませんね。アタランテさんをからかいにでも行ったんですか」
「行ってたよ。でも獣の耳を持つアビシャグがいつも冷たくて、僕は苦手なんだよなあ」
「まさかここ最近、それしかやってないんですか」
「まさか」
一つ溜息をする。安堵した気持ちになった。この人のことだ。女以外のことで特に心配する必要はなさそうだ。
彼から距離を取ったのは不本意にも自分の方だ。立香が気持ちを整理して気付いた。彼にもっと近づきたい、彼の本心をもっと知りたいのに、マスターとサーヴァント、魔術師と使い魔、一般人と帝王の間の壁を越えられずにいた。だから混乱と困惑の果てにあんな態度を取ってしまった。そうする必要もないのに激昂してしまった。
「こないだ怒鳴ってしまって、本当にごめんなさい」
「いえ、気にしてないよ」
「私、ダビデさんの言葉を少し考えてみました。私はダビデさんのことを『理解』したいです。けれど、ダビデさんのことを知れば知るほど、理解しようとすればするほど、ダビデさんが遠くなってしまう気がして…どうすればいいのか、正直私にもわかりません」
立香は男の側に来て、窓の外の吹雪をぼんやり眺めながら、自分の悩みと思いを言葉にしてみた。彼女には、男を直視する勇気がなかった。彼と一瞬でも目が合ってしまうと、その瞬間、思考の糸が乱れてしまいそうで、冷静に喋ることもできなくなってしまう。
「マスターは十分立派だと思うよ。ちょっとだけ不器用かな」
立香の言葉を受けた男は俯いて、少し考える素振りをした。すると視線を再び窓の外に移した。吹雪が跋扈する夜の雪山を見つめながら立香に言った。
「じゃあ、話をするなら場所を変えよう。そうね…食堂がいいね。マスターにとっておきのやつを振る舞ってやろう」
7
夜の食堂はやはり静かだった。夕食の時間はとっくに過ぎ、カルデアの人々は嵐の前の静けさを全力で満喫しようとしている。
他に誰一人いない食堂では、スプーンがガラスにぶつけるクリアな音だけが響き渡った。今誰かが入ってきたら、恐らくそこにいる人影を認識する前に、まずレモンの香りに注意を惹かれるだろう。
「カルデア(ここ)は食材が豊富でね。おかげで色んなものが作れる。といっても、今日は飲み物だけだけどね。ともあれ、我々に食事と安らぎのひと時を授けて下さる神に感謝です。さあ、どうぞ」
立香はグラスを手に持って、一口啜ってみた。レモンのまろやかな香りは鼻に沁みわたり、それの特有の苦みの伴った酸味は舌を程よく刺激する。更にそれを蜂蜜が和らげて、最後にミントの涼しみはのどにいいパンチを与える。とても飲み心地のいい一品だ。
「どうだい?」
「すごく美味しいです」
「僕の時代は発酵した牛乳を多く飲んでいたけどね、今や我が故郷ではこういう飲み物もあるみたい。それにお茶もある。こっちもミント入りだよ」
「あの、別に飲み物談義をしに来たわけでは…」
「ああ、悪い悪い。ではどこから話そうか」
「私、冷静になって考えてみました。でも、そもそも『理解』ってなんなのか、よくわかってないみたいです」
「難しいことだからね。今僕がそれを聞かれても、うまく言葉にできる自信はないよ」
「私、ダビデさんのことがもっと知りたいです。でも、ダビデさんが言ってた、ドクターの正体に興味がないなんてこと、私にはとても飲み込めません…それを丸ごと受け入れるのは、『理解』とちょっと違う気がするんです」
「そうね」
男がミント入りのお茶を一口飲み、そして目を瞑った。沈黙が三秒間続いた。そして男が淡白な口調で語り出した。
「前にも言ったんだけど、あの人の正体なんて、僕は興味がなかったし、それを知ったところで騒ぎ立てたりはしない。更に一つ言えるとしたら…『僕はロマニ・アーキマンを実の息子として見たことは一度もない』、ぐらいかな」
薄々予想はついていたものの、実際言葉にすると、それは立香にとってはやはり受け入れがたいことだった。
男は表情一つ変えなかった。そして続いた。
「今ここに存在する僕はかつてイスラエル全土を治めた『ダビデ王』そのものじゃないし、ここにいた『ロマニ・アーキマン』ももはや、かの神の国に空前の繁栄をもたらしてくれた『ソロモン王』そのものじゃない。お互い、ただ遠い時代を導いた英雄たちの『記憶とあり方』を受け継いだ他人さ」
「私はかつてのソロモン王の人となりをよく知りませんが、そこまでドクターとソロモン王を割り切るなんて…私にはとてもできません」
「それを言うなら、僕もよく知らないよ、昔のソロモンのこと。ソロモンと僕の間にある歴史なんて、あってないようなものだからね。彼の母との話の方がまだ酒の肴にできるぐらいだよ」
いかにも無責任なその言い方に、立香は少しむっとした。
「でも…」
「でも赤の他人じゃないよ。その記憶のおかげで、ロマニとの間では嫌でも『縁』なるものができた。もっとも、それが嫌ではないが」
「縁…」
「『縁』。極東の国にある、実に不思議な概念だ。君との縁のおかげでここに召喚されたし、聖杯に召喚されたのもソロモン、いや、『ロマニ』との縁のおかげだと、僕はそう思いたい。それが実体のないあやふやな概念だけど、まさに神の賜物そのものだよ」
「本当にそれだけの繋がりなんですか。ドクターはあなたのことを父と見ていましたよ」
「その想いには応えられないね、残念ながら。そもそもソロモンに父と呼ばれようと、僕には何の実感もないね。今の僕も、恐らく昔の僕も。わかってくれるかな」
「ちょっと、わかりません」
「他の人はどうであれ、マスターにだけは正直でいたいよ。僕は何も隠したつもりはない。ソロモンが消えたことは、他の誰かが消えたことと一緒。残念だ。とても残念なことなんだ。涙を流すこともあるだろう。だけど、他人同然のソロモンのために悲しむことは、僕には到底できないらしい」
男が話し終わると、広い食堂の中は再び静寂に包まれ、ガラスのクリアな音だけが響いていた。
男の言葉に心の底を打たれ、立香は必死にこみ上げる涙を我慢しようとした。
立香の手の中のガラスに、今度は暖かいお茶が注がれた。それと同時に、男が再び笑みを伴って口を開いた。
「別にそこまで悩むことはないと思うよ。僕だって、マスター達のすることは、僕の信条で受け入れがたい部分もたくさんあるんだ。でもそれがいい。君にとって好ましくない、受け入れがたい部分は受け入れなくていい。僕は未来永劫、マスターと完全一致な存在にはならない。だから何が好ましくて、何が好ましくないのか、僕とマスターの基準は決して被ることがない。でもそれでいいのさ。僕はただ、マスターがこういう基準を持っていることを知っていれば、それがもう『理解』の一部になると思うよ」
「それでも、いいの?」
男の意外な発言に、立香は目を大きく見開き、男の顔を見上げた。実に稀に見る男の穏やかな、そして何か物思いにふける顔を目にした。
「ええ。そして、これだけは言わせてください。僕はマスター達に感謝している。ロマニ・アーキマンに最高に至福な一年間を与えてくれて、本当にありがとうございます…彼のあんな腰抜けた笑顔が見れただけで、僕がここに留まり続けた意味があったのさ」
最後の一言は立香の耳に届かなかった。
立香は身を小刻みに震わせ、淡い緑色のお茶が入っているグラスをしっかりと握りしめていた。その目の前はとっくにあふれ出た涙に濡れて、何も見えなくなっていた。
8
最後のガラスを洗い終わって、立香はとダビデと共に、出した食器を棚に戻した。食器棚の扉を閉め、落ち着きを取り戻した立香はダビデに言った。
「でも、最後までダビデさんは私に嘘をついてましたね」
「おや、なんのことかな」
「『ドクターのことを息子として一度も見たこともない』、と言ったのですが…」
「そうだよ」
「でも、ちゃんと顔を見に行ったんじゃないですか。あの『ヴェルデの会』の会食で」
立夏の一言で、ダビデはその身の動きが固まってしまった。その言葉の意味を一瞬で汲み取ったようだ。そして苦笑いを混じりながら答えた。
「これは、参ったねえ」
「私は思うんです。ダビデさんは自分がどう考えていようと、このカルデアの誰よりもドクターのことを心配しているのです。本当、素晴らしい詐欺師です」
「それはとても褒め言葉に聞こえないね」
「だって、自分自身のこころさえ、騙しきったのではありませんか」
振り返った立香の顔に浮かび上がったのは、ダビデすら見たこともない、太陽のような明るい笑顔だった。
ウイーン。食堂の自動ドアがゆるりと開いた。
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