Black Feather Re:01 本文全文

どうも、いけだです。

当サークルの活動の中心である「ブラックフェザーシリーズ」、その最初の話を全文掲載いたします。

無断に転載したりしないでください。

印刷した本はまだ少し在庫があります。イベントなどの際にもしよければぜひお手に取ってください。A5判・100円です。


この世に、「翼」を持つ人達がいる。

その透明な翼は白く、もしくは黒く、夜空に不思議な輝きを放つ。だが、普通の人間は決してそれを見ることができない。

その翼は「幻翼(げんよく)」と呼ばれていた。

幻翼を持つ者は、ある特定の分野で他者より優れた才能を持っている人が多い。記憶力が強かったり、難しい勉強が出来たり、機械作りが上手だったりするとか。

他には、科学では説明できない現象を起こせる人もいる。「結界」というものを張ったり、時間や空間を操ったり、自然現象を影響したりするとか。

黒い幻翼を持つ、「黒き者」。

白い幻翼を持つ、「白き者」。

こんな翼によって授かる不思議な力を持つ人達は「翼人(よくじん)」と呼ばれるようになり、しきりに都市伝説の主役となっていた。

しかし翼人の存在は決してうわさや都市伝説などの類ではない。今にでもこの国では三千人前後の翼人が一般社会に潜め、彼らなりに頑張って生きている。

一つ、おとぎ話をしよう。

遥か昔に、翼人達の長とされた黒き者がいた。

その長は「闇を操る」力を授かり、翼人たちを従えた。

長の黒い幻翼は誰のものよりも美しく、誰のものよりも鮮やかだった。一目で見ると長だと解るほど、艶やかな黒い六枚羽だ。

「夜の姫」。

漆黒の夜を連想させる幻翼から、長はこう呼ばれていた。しかしなぜ「姫」なのか、現にそれを知る人はいない。

こんな人から敬われた姫にも、やがて人生の最期が訪れた。

そのとき神が臨み、こう言った。

「ああ、なんて可憐な私の姫。君がいないと私は悲しむ。私の愛しい子らは悲しむ。君に永遠を与えることができぬのならば、せめて君の翼を、君の魂を後世に残すとしよう」

姫は生を全うした。だが姫の魂が継がれ、世界の片隅にまた漆黒なる翼を持つ姫が生まれた。

こうして、代々の『夜の姫』はその翼と闇を操る力を継承して、今に至った。

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「こうして、『黄金の獅子』と呼ばれた男は亡くなったけれど、彼の意思を継ぐものがいる限り、その魂は永遠に生き続けるってこと。素敵な話ね」

「あの人の作風らしいストーリーだ」

2004年の東京。大晦日まであと二週間弱。週末に都内は大きな吹雪に見舞われ、週が明けた今日も、街の中は積雪で一面真っ白に染まっている。

「今日来てくれてありがとうね。あの先生の作品は好きだけど、当の本人は暑苦しいというか…わたし、苦手なのよね」

「でも今日はよかったよ、トークショー。なかなかの盛況だ。さすがはアイリン」

そう褒められ、高屋(たかや)アイリンは恥ずかしそうに笑い、顔を赤らめた。

「ねえシオン、今日来てくれて嬉しいけど、学校の授業はどう?ちゃんと出た?」

「あ…き、今日は授業がないから、バイトに行ったよ」

「…そう」

シオン・ネリフィオンは視線を逸らして俯いた。顔の下半分がスカーフに埋まった。

雪の上を歩き、足元で靴がかちかちと音を立てていた。白い雪がズボンの裾についてしまい、裾を濡らした。

そんなシオンを見て、アイリンはシオンの手を握ろうとしたが、やがて差し出した手を引っ込めた。その代わりに言った。

「わたしの心配をしてくれるのはいつも嬉しいけど、わたしからは、もっとシオンに自分を好きになってほしい、かな」

「いいんだ。私だって、もっとアイリンを支えていきたい」

「シオン、それが本心ならいいけど…罪滅ぼしのつもりなら、もういいのよ」

「罪滅ぼしなんかじゃ…」

シオンは自分の反論に何の意味もないことに気づき、アイリンも自分の失言を後悔し、二人揃って口を噤んだ。

気まずい沈黙が二人の間で広がり、その沈黙に導かれるがまま、家へ続く道をひたすら歩いていた。

最寄り駅から歩いて十五分。東京都の南部にある、シオンとアイリンが今住んでいるマンションに着いたら、玄関先に先客がいた。

その相手とは二年前の一件からの付き合いであった。シオンにとっては恩人同然の存在だが、シオン本人はそうは思っていない。むしろその顔を見ることさえ億劫に感じる。

「やあ、久しぶり。元気かい?」

「何の用だ。何でお前がここにいる」

「相変わらず愛想が悪いな。用がなけりゃここに来ちゃいけないかい?」

「用がなきゃさっさと帰れ」

「ダメだよシオン、ちゃんと挨拶しないと。ご無沙汰です、お花さん、コズエさん」

その人の名は花井碧(はない みどり)。人呼んで「お花」。翼人(よくじん)を管理する組織・クリンネスの一員で、最強の一角を占めている。クリンネスを知っている人なら、まずその名を知らない者はいないと考えていい。顔立ちは若いが、年は既に三十を越している。色々あって、シオンはお花のことを毛嫌いしているが、彼女の前では頭が上がらないのも事実だ。

そしてお花の隣に立っている制服姿をしている女の子は、彼女の鞄持ち、もとい、相棒の瀬津原梢(せつはら こずえ)だ。

「今日来たのはまさにアンタに用があるんだよ、シオン。いや、それほどのことでもないが」

「それほどのことじゃなかったら帰れ」

「なあ、もう上がっていい?いつまでたってもお客さんを外で待たせるのはどうかと思うけどな」

お花はシオンの抗議を完全無視し、鼻歌を挟みながら一人で勝手にマンションの扉を潜った。

空が先ほどより一段暗くなり、黒い雲も集ってきた。風が木の枝を揺らし、一縷の白が地面に落ちて、行方をなくした。

今日は寒かった。今晩は、雨も雪も降らないといいな。

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マンションの四階に上がり、シオンが家の鍵を開けると、お花が一足先に部屋に入った。その後ろにコズエが申し訳なさそうに「お邪魔します」と言って、頭を下げた。

部屋に入ると、アイリンが暖房を入れ、台所でお茶の用意をした。先に部屋に入ったお花はなんの断りもせずにテーブルの席に就いた。

いつもは二人しかいないこの部屋の中が、こんなに賑やかになるのは実に久しい。

「はい、お茶が入りましたよ」

アイリンがお茶を持ってくると、シオンもコズエもテーブルに就いた。

「ども」「ありがとうございます」

出されたお茶をお花がぐいっと仰いだ。

「で、用はなんだ」

不機嫌そうにシオンがお花に聞いた。

「ではわたしらしく、単刀直入にいこう。アンタ、学校の単位がヤバいって?」

「お前と関係ないよ」

「いやいや、大いにあるよ。『ネリフィオンの当主さん』が大学で留年でもしたら、翼人の評判がガタ落ちしちまうじゃないか」

「戯言はやめろ。それに、その『用』とやらが学部の事務所の真似事なら、帰れ」

「あはは!いい口ぶりだ。わたしにこんな口を効いてくるとは、成長したね、シオン」

「あと、二度とあんな呼び方で呼ぶな。反吐が出る」

「残念ながら、それは聞けない願いね。今日は『ネリフィオンの当主』さんに、いいものを持ってきたんだよ」

そう言って、お花はコズエに手を出した。するとコズエは鞄から白い封筒を一つ取り出し、お花に渡した。

お花にその封筒を見せてもらうと、封筒には宛名も差出人も一切書いてなかった。

「なんだこれ」

「開けてみて。怪文書だよ」

「怪文書ならそっちでなんとかしろ。悪の組織だろ」

シオンが溜息を一つついて、お花に対する嫌味を吐きながら封筒の中身を取り出した。その紙には、一行の手書きの文字しか書いてなかった。

「夜の姫は縄田高校にいる」

「夜の姫」の文字を目にし、シオンはぎゅっと手の中の紙を握りしめた。両手が小刻みに震え出したのを、シオン自身も気づかなかった。

「どういうつもりだ」

腹いっぱいの怒りが込められていたシオンの低い声に、お花は意味ありげな薄い笑みが浮かべた。

「この怪文書の対応ができるのは、アンタしかいないんだよ。丁度、そろそろアンタのやるべきことをやってほしいところだ。『ネリフィオンの当主』さん」

シオンは無意識に呼吸を早め、そして頬に大粒の汗が滲み出した。眉間にしわを寄せ、緊張しているような顔のシオンを、アイリンが心配そうな眼差しで見つめた。

お花がおかわりされたお茶を一口啜って、続いた。

「逃げても無駄だぞ。姫様は寂しいぜ」

「逃げてなんかっ…!」

シオンが思わず大声を出して叫んだ。だがお花は微動だにしなかった。そして見たこともないような真剣な顔で言った。

「先代の姫様が病気でお亡くなりになったから、既に十五年以上経っている…ネリフィオンの当主がアンタの父に代わって、そして今はアンタが務めてるが、次の『夜の姫』の在り処が謎のままだ」

「だからどうした!」

「翼人にとっての抑止力が必要なんだ。『夜の姫』という抑止力がな」

「ふざけるな!実在するかどうかはさておいて、あんなおとぎ話の主人公のどこが抑止力なんだ!抑止力なら、お前らクリンネスが、お前らが創り出した掟の方がよっぽど抑止力なんじゃないか!」

「駄目なんだ」

お花が視線を落として、感情を一切込めない口調で語った。

「クリンネスは確かにいま日本にいる翼人たちを仕切ってはいるが、あくまで『互助会』、『自治会』的な組織だ。掟、ルールの類は、自分で自分たちを管理する上には必要だが…神様がお選びになった『夜の姫』の代わりにはなれないさ」

「どういう意味だ。あとなんなんだ、その『神様』とやらは」

「まあ、紛らわしい説明は飛ばして…要するに今の代の『夜の姫』の居場所を突き止めて、その本人と話をしないとマズいって状況なんだ。アンタの父が当主だった頃は、姫様に関する報告が一切なかった。そもそも捜そうとしなかったんじゃない?アンタの父は」

「お前に父を責める資格はない!だいたい父は、父は…」

父親をこけにするような話をされて、シオンがさっと椅子から立ち上がり、大きな涙がシオンの目元から滴り落ちた。

「だいたい父が、ネリフィオン家が追い詰められて、途方に暮れていた時に、お前達クリンネスは何やってたんだ!お前は何やってたんだ、花井さん!」

「まあ、落ち着け」

「シオン!」

激昂になって、お花に喚き叫んでいたシオンを落ち着かせようと、アイリンは優しくシオンを背中から抱きしめた。そして一つ素朴な質問をお花に投げかけた。

「あの、ネリフィオンの当主は、『夜の姫』と契約を結ぶ決まりなんでしょ?でも黒き者のシオンは、同じ黒き者の『夜の姫』と契約できないし、そもそもシオンにはもう…」

「契約者がいる、よね?質問は順番に答えよう。まずシオン、アンタの父が当主の頃は、ほとんどクリンネスと接触しなかったし、こっちもネリフィオン家の状況を掴めずにいたんだ。アンタが例の事件を起こした時より前に、人手を遣って、お前の実家の様子を見に行かせたんだが…あそこは既にがら空きで、薄気味悪いボロ屋敷だけが残っていた」

アイリンに促されて、椅子に就いたシオンはお花の弁解を俯きながら聞いた。

「そして、高屋さんの質問…確かにネリフィオン家に黒き者が産まれたと聞いた時は驚いた。そしてアンタの父がまさか、アンタを次に当主に選んだと知った時は、さすがに腰抜けたよ。でも、アンタが異端かどうか、契約できるかどうかは別として、ネリフィオン家と『夜の姫』の間の繋がりは、断とうとも断ち切れないんだ。だから、まず話だけでも聞きに行ってくれないかな?そこに行ったら、なにか、状況が変わるかもしれないぞ」

シオンが少し頭を上げて言った。

「『聞く』って、誰に、どうやって?」

「お、乗り気になった?」

シオンは口答えせず、ただお花をにらみついた。お花は目を再びテーブルの上の紙切れに戻し、指でその一行の文字を指した。

「『夜の姫は縄田高校にいる』だろ?この怪文書の差出人も、『夜の姫』も、どこの誰かは知らないんだ。だから、少しの間でいい。縄田高校に潜入して、姫様と、これを書いたやつを見つけ出してほしい」

「『夜の姫は縄田高校にいる』なら、お前らの方でなんとかできない?個人情報を不正所持してるし、その名簿とやらを見ればわかるんじゃないのか?」

「ああ、名簿ね。あれ、メンテが疎かで、新規登録はしてるけど、既存のデータの更新はほとんどしてないのよね。だからアンタが家から出て、こんなところに転がり込んだのも知らなかったわけさ」

所詮自治会レベルだ、と聞こえるような言い訳だ。

「その文書が信用できる証拠はあるのか」

「ないよ。でもうちの受付に置いてあった。誰彼がわざわざあそこに行って、これを置いてきたってことだろ?ここまでして罠を仕掛ける必要はないだろうし…あとお前の言う通り、『夜の姫』をおとぎ話の中の存在と思ってる人が多い。でもこんな文面じゃ、少なくともこの文書の差出人は『夜の姫』が実在する人物だと知っている。これだけでも話を聞く価値はある」

「もう一つの可能性として、クリンネスの中の誰かがこれを受付に置いた。それなら話が違う。罠の可能性も十分ある」

「そうなるね…でもそこまでして、ターゲットを一地方高校に誘い出す目的はなんだい?それから、実際現地に行かされる人を特定できないしね」

「しかしクリンネス内部の人がこれを仕掛けたのなら、現地に行く人を指定することが可能だ」

「だからアンタを指定した」

その話を聞いて、シオンとアイリンはお互いとお花を驚いた眼で交互に見つめた。

「どういうことだ」

「上がアンタに行ってほしいと指示してきたのは事実だ。もともと『夜の姫』が絡む話なら、クリンネスより、ネリフィオン家のアンタが出る方が望ましいからな。だからアンタが現地に行くとなると、結末は二つしかない」

お花の手のピースサインを見て、シオンが唾を呑んで次の言葉を待った。

「一つ目、文書に書いてあることは事実。アンタが無事『夜の姫』とこの文書の差出人を見つけ出し、その話を聞くことに成功。二つ目、文書に書いてあることは罠。アンタがその罠に嵌り、なんらかの怪我を負ってしまう。最悪死ぬ…いや、アンタの命はわたしが保証するから、命を落とす心配はない」

「クリンネスの誰かが仕掛けた罠かもしれないのに、クリンネスに身を置けるお前を信用しろというのか」

「恩人を信じるか信じないかは、アンタ次第さ」

部屋中がしんと静まった。

シオンが一つ溜息をついた。

「行くなら、学校の単位をどうにかしてもらわないといけないな」

予想外の返事に、その場にいた他の三人とも驚いた顔をした。一人だけ少し違うのだが。

「お、さすがは当主さん。なら話が早い。今はお休み中だから、三学期からの転校生という形で潜入してもらう。いいな」

「あの、潜入って、あの高校に、ですか?いくらなんでも無理があるのでは」

アイリンの質問に、お花はくすっと笑って答えた。

「バレないバレない、安心しな。こいつのこの柄じゃ、高校生って言われてもおかしくないだろ?」

「でもこんなしけた顔をする高校生はいないと思うぞ」

「いや、わたしが高校生だった時もそう言われたから問題ないさ」

「問題はそこじゃないだろ…」

「ま、とりあえずこれで決まりだな。やっと事のヤバさをわかってもらえて助かった。今から手続きを済ましてくっから、あとで連絡するよ」

シオンがその「事のヤバさ」を理解したから話を飲み込んだわけではない。

この一件は「要請」でも「命令」でもない。ネリフィオン家の者として生まれ、そしてその家の当主の役目を押し付けられたことから生じた、「運命」なんだ。

だがシオンはその「運命」とやらを受け入れるつもりは毛頭ない。むしろそれを拒絶している。

この世で、自分のこの体、そして自分の名前ほど厭わしいものはない…

話が決まり、お花は手帳を取り出し、ざっとその高校の名前と情報を書き残した。そのページを無造作にちぎり、食卓の上に置いた。そして残ったお茶を一気に飲み干して、立ち上がった。窓の外を覗いてみると、雪こそ降っていないが、木の枝はまだ強く揺れている。

時計を一目見て、アイリンがお花とコズエを夕食に誘ったが、まだ仕事があるといって断られた。二人が部屋から出ようとした時、シオンが慌てて呼び止めた。

「待って。一つ、聞かせてほしい」

「なんだい」

「『ネリフィオン家と夜の姫の繋がりは、断とうとも断ち切れない』…それはどういう意味なんだ。なぜ『夜の姫」と契約するのは、決まってネリフィオン家の当主なんだ?」

「それは…ネリフィオン家が、神様の生贄だからだよ。わたしも、そうだけどね」

お花の声が吹きすさぶ北風に飲み込まれ、最後の一言を、シオンにはよく聞こえなかった。

お花達を見送り、アイリンは夕食の支度を始めた。野菜類を準備しながら言い出した。

「シオンは、なんで行こうと決めたの?」

「行けって言われたら行くしかないだろう」

ぱたんと、キッチンの中の音が止まった。

「本当にそうなの?」

「どういう意味?」

「あんな風に嫌がってたのに?」

アイリンの顔はシオンに背けて見えない。そして声から何の感情も読み取れない。いつものアイリンとは違うような気がした。

「行ってしまったら、自分が当主だってことを認めるってことでしょ?」

「認めるもなにも、自分が当主なんだ。これも当主の務めなんだよ」

「それが嫌なんじゃないの?」

それが嫌なんだ。認めるしかない。

そして行くと決めたのは、自分を否定すると同じ意味だ。

自分を恨み、自分を否定するこの循環からなんとか抜け出せないのか?

シオンは混乱した。

アイリンが作業を止め、隣に来て、シオンのカップにお茶を注いだ。水の音が部屋の暫くの静寂を破った。

アイリンがまた何かを言おうとするような顔だが、黙ったままだった。先に口を開いたのはシオンだった。

「私は…いや、『私が』行くしかないんだ」

「……」

「見つけたら、すぐ今の生活に戻れるよ。私だって好き好んでやってるわけじゃないし、な」

「……」

「私ももう、アイリンを傷つけたくないから…二年前みたいに」

「そういうことじゃないの!」

「アイリン…ごめん」

「『今の生活』に戻れるって、それで満足なの?シオン」

アイリンが後ろからシオンを抱きしめた。首元から、アイリンの微かな囁きが聞こえた。

「もうこれ以上自分を嫌いにならないで…シオンが自分自身を嫌うのを見て、わたしだって傷ついてるのよ」

シオンは自分のカップの中身を、一気に飲み干した。

夕食は野菜炒めにから揚げ、いかにシンプルな献立だった。そしていつものように他愛のない会話が続いていた。

「ごちそうさま。今日もおいしい」

「本当?ありがとう!」

五年ほど前にシオンと出会って、アイリンはすっかり親を失ったシオンの支えとなった。言い方を変えてみると、シオンが支えられてばかりのように見えた。

今度こそアイリンを支える番だとシオンが考え、働き始めた。

でもこの体ではどうしようもないなんて、さすがにアイリンには言い出せない。

さっきお花がくれたメモを取り出した。「縄田(なわた)高校」という名前と、住所らしきものが書いてあった。南の県にある私立高校で、ここからは電車で四十分ほどかかる。

もっと詳しい情報を手に入れるべく、パソコンを立ち上げ、インターネットで少し調べてみた。どうやらそこそこの進学校で、出身の有名人も多数いるという。学生寮もあるが、この時期だと恐らく通学になるだろう。

その方がむしろ助かる。そしたら毎日家に帰って、アイリンと一緒にいられる。それがせめてもの救いだと考えると、思わずほっとした。

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そうそう。おとぎ話の続きをしよう。

姫の傍には常に一人の白き者がいた。姫を尊敬し、姫を守り、姫をなによりも大切にしていた。

従者の名前は、ネリフィオン。

ネリフィオンがいつ、どのような理由で姫に仕えるようになったのか、それを知っているものは誰一人いなかった。

姫が天寿を全うした後でも、彼の子孫は次の、そしてまた次の代の姫を守り続けていた。どんな時、どんな場所でも、かならず姫を見つけ出し、姫のことを静かに見守っていた。

姫を守るためには、力が要る。「能力(つばさのおくりもの)」だけじゃ守りきれない、もっと強い力が必要だ。

ネリフィオンと彼の後を継ぐもの達は皆、背中にある禍々しい「印(しるし)」を背負っていた。

その「印」の由来もやはり不明だ。人の戦闘力を最大限まで引き出すが、宿しているものの理性も奪ってしまう。まさに呪詛の結晶。やがて「印」の力に負けてしまい、理性を失い尽くせばただの化け物になり、他の堕ちたものとともに処理されてしまう。

ネリフィオン家の当主がこれを宿し、姫を守るという決まりだ。

そこに今のシオン・ネリフィオンがいた。

黒き者と白き者。両者の違いはその背中にある翼の色だけではない。

黒い翼を持つ者は人間の血を吸う化け物、いわゆる吸血鬼だ。

吸血鬼といえば、正統派ならドラキュラ、現代ならヴァンパイアハンターなどの伝奇小説を連想するが、それともまた少し違う。吸血衝動がしばしば黒き者を襲うが、血を吸うことで腹の飢えを満たすわけではない。

血を吸うのは、吸血衝動を抑えるために過ぎない。他人にかなり迷惑をかけかねない点を除いて、食欲を満たすために食べる、性欲を満たすために夜の営みに勤しむと同じで、わかりやすい話だ。

なぜ黒き者は吸血衝動に襲われるのか、その衝動はいつ、どんな場面で黒き者を襲うのか、理由は諸説あって定かではない。よく言われるのは、「吸血衝動は体の興奮の現れ」ということだ。

人体の興奮は様々ある。幸福感や嬉しさによる精神の昂り。怒りや激昂。極度の恐怖。底無き憎悪。

そして、性的興奮。

こんな時に、黒き者はよく血を欲求する。相手の血は喩えで言うなら、「鎮静剤」。

血への欲が満たされないと、やがてその衝動に負けて、自我のない化け物に堕ちてしまう。その時はクリンネスのやつらに処分されるのがこの者達の末路だ。

その解決策として、一般人に害を加えないで黒き者の衝動を抑えるため、黒き者と白き者の間に「契約」を結ぶことが義務付けられていた。なぜそういうことになったかはさておき、黒き者にとって、これ以上都合のいい話、そしてこれ以上不便な話はない。

確かに、白き者は一般人と比べては、体の構造がやはり若干違う。傷の回復は速く、貧血にもなりにくい。血を吸われる方としては好都合だ。

ただし黒き者は一度でも白き者の血を取り入れたら、体はそれ以降契約者の血しか受け付けられなくなる。直接生き血を吸うだけでなく、輸血などで白き者の血液が体に入ったら、その時点で契約が完了と見なされてしまう。

契約を結んだ翼人同士は一生の付き合いになる。

それが今のシオン・ネリフィオンと高屋アイリンだ。

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一週間後、女子高生の制服らしきものが届いた。

落単し続けた大学生がこれを着て高校に戻るのは、実に皮肉な話だ。

―2004年12月21日―

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